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死を超越する研究。
その為に、より死を知る必要があったが、
今際の記憶の再生をして分かった事は、
その瞬間の内容は割りとマチマチという何の事もない事だ。

当然、死後の世界を覗ける訳も無く、
せいぜいの研究成果は、中枢神経を麻痺させた状態で逝くのが
理論どおり恐怖が少ない、という事がぐらいのものだ。

そもそも、死を終わりと定義するなら回避は限りなく不可能に近い。
可能なのは、生命体としての寿命から解放される術を獲得する事、
その後、内的外的なダメージで滅ばないように肉体を強化する事ぐらいだ。
これに関しては幾つか方法があるが、いずれにせよ長い年月を経る内に、
いつかは致命的なイベントに遭遇して終わりを迎える。
寿命という期限から脱する事は出来ても、確率からは逃れる事はできない。

これは物理干渉の少ない高位精神体への転生を行ってすらも大差が無い。
魔術を学問として修めた者ならば、高位の存在であると認識している精霊も、
存在が現象に近いためか、獲得した知性も経年で風化し蒸発してしまう。
聖域と呼ばれるの土地の大半は、意識を失い揺らぎの如き存在になった精霊の成れの果てだ。

かくて死の超越は、300年も経たぬ内にほぼ不可能であるという結論に達した。
ここまで到達した人間は多くはなかろうが、しかし到達した人間の大半は
自分と同じく地下のダンジョンで悠久の時を弄んでいることだろう。
何しろ地上は死亡率が著しく高いのだ。

人という存在は実に曖昧だ。
その曖昧さは、その精神性に由来する。

傷つきやすく、壊れやすい肉体と精神。
これを纏って、のうのうと暮らしていた日々がかつてあった。
これが今や狂気のように感じるのだから、どうにも人とは分からない。
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