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真に勝つとは、己に克つこと也と揺籃の頃に習う。
何物をも超克する不動心、寂静の境地にも近い精神を持ちさえすれば、勝ち負け他一切卑小であろう。かのように、精神方面に技巧鍛錬系を伸ばしたもの「道」と呼ぶ。武道の奥義は戦わずして相手を圧倒することであるが、究極は武すら不要であるという。武道武芸に身を置く者として、何とも腑に落ちぬが、この頃はそうした鍛錬の結果ではなく、専らのところ勝敗に対する拘りの無さから期せずそうした境地の既視感に陥るに至る。しかれども、到達点が同じだけであって、その導入が違うゆえに受け取る価値が大きく異なる。

極めて観念的直感的に表すならば「零は有、零は無」の違いである。

ここまで到達したのであるが、近頃は身を切る以上に身銭を切る必要に迫られ、日々試練に投げ込まれる内、精神的な揺らぎから煩悩の火がまた燃え始めてきたように思える。煩悩は一方で人を人足らしめる。浮世に揉まれる内に、久方ぶりに、半死半生の者から人間に戻ったようだ。
落蝉に蚯蚓鳴く頃
地の音に薫る 過ぎし夏
薄羽蜉蝣が飛んでゐる
紳士とは、搢紳の士なり。
紳(大帯)に杓を
搢(挿む)者。即ち、止ん事無き者なり。
我、紳士と言うより、 「親死」也。
修験者は山伏とも言い、名の通り山に伏せ修行を行う。
その腑は「悟り」の教えと、山岳に対する自然崇拝の混合体であり、修行と山岳への崇拝により 「悟り」を得ることを目的とする。その道程に、例えば法力・道力といった霊験(験徳)の開眼、衆人の救済といった一般的に想像される修験道の実践者が存在する。一方で、霊験の開眼しない者、修行に没頭し目的を忘れる者、教裏の闇に呑まれ邪教徒に化する者も存在し、総体として修験道とは極めて混沌としたものと言わざるをえない。

また彼らの行は、世間と隔絶された場所で営まれ、その詳しい実態は不明である。この秘密主義を皮肉り、物の怪「天狗」の名を当て呼ぶようになる。後世、この天狗と修験者が交わり、現在の天狗像に至った。
渡り来た折港町にて、江藤、倉内、小島なる行商に会う。
覚えのある名なれど、ある者黒人、ある者金髪碧眼と、勝手が違い些か惑う。
後酒場、紅蓮某と名乗る若人に会うが、鬼島の名は聞かざりと。
名も語も国ごとなれど かくも違うと思いけり
 
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